年齢
私は、最近、人との会話の中で、「ほうれい線・おばさん・もう」
などという言葉をよく使っています。
そういった言葉を使う事で、人から ちゃんとした枯れた人間に
見られたいのだと思います。
「あなたも私も、一緒ですよ」という具合に。
でも私。本当は、「私はもう枯れている」とは、あまり思っていないんです。
そりゃあ、身体は刻々と変化しているし。
心地よいと感じる心の持ちようも変わりました。(勢いよりも、こつこつが好き)
これらを“老化”と呼ぶのだろうとは、わかっています。
でもどうしても、例えば大人の私が、一生懸命踊ったり、新しいチャレンジをしようとする事を、年齢を理由に「趣味程度に。もう遅いですけど。」と、ストップする必要があるとは思えません。
つまり、自分はまだ枯れておらず、伸びてゆけると感じています。
何もおかしくない。
おかしさを生んでしまう時があるとすれば。自分で自分を笑ったり、自分と同じような・もしくは自分より年上の方を笑ったりしている時。見る方が見れば、そういう時の私の姿は、小さく滑稽でしょう。
ある歌唱曲に、
“人間なんてそんなにきれいじゃないから”という歌詞があります。
確かに。
自分を偽って人を欺こうとしたり、人を笑って安心しようとするのは、
人間の本性でしょうから。
生きて生活し人と関わる、それだけで滑稽で。どうしようもないのかもしれませんが。
と、少しの冷めも入りつつ、
100パーセント認めてしまいたくもないです。
今日も複雑です。
今夜は、かき揚げうどんを食べたいです。